息抜きこらむ

働きながら研究をする

奥田 恭介
埼玉県立自然の博物館 外部研究者

▼はじめに―なぜ分類学なのか

 私は,野生動物の調査を専門とする環境調査会社において,昆虫類の担当技術者として勤務している会社員である。ここでいう「環境調査」とは,道路やダムなどの建設のような開発事業を行う際に,開発されるところにどういった生物が生息しているか,その中に絶滅危惧種のように保護対策が必要なものがいるか,いる場合は,その生物の生息環境への開発による影響を減らすためにはどういった対策を講じればよいかといったことを検討する業務を指し,それらの業務に私は従事している。
 それと同時進行で,サシガメ科というカメムシの一種の分類学的研究(ごく簡単にいうと,生き物それぞれが持つ特徴をヒントに,近縁な仲間を体系的にまとめたり分けたりして整理する学問である。その過程で,名前のついていない種には学術論文で名前をつけて発表することもある)に取り組んでいる,いわゆる「在野の研究者」でもある。「研究」というと専門機関や大学などの研究室に在籍する専門家のみの聖域と想像されることも多いが,そうした敷居の高さは分野によって異なり,少なくとも,昆虫分類の分野においては,在野研究者も先駆的な研究や国際誌への論文掲載が可能である。
 私の場合,職業で昆虫を扱っているから研究ができるのではないか,と思われることが多いが,必ずしもそうではない。昆虫を扱うという共通点はあるものの,あくまで業務と研究は結び付いてはいない。実際に同業の方と話をすると,研究どころかプライベートの採集や短報(短い報告文)を書く時間すら取れない,という方も少なくない(むしろそちらが多数派のように感じる)。
 実際に私も学生時代は応用昆虫学や昆虫生態学を専攻しており,社会人になってからもそういった研究を細々と続けたいと考えていた。しかし,出張の多いライフスタイルでは,定期的に野外でデータを取得したり,管理された環境下で実験をする必要がある分野での研究実施は叶わず,入社後数年は仕事の傍ら細々と昆虫採集をする,といった生活を続けていた。
 一方,環境調査会社で働いていると,事業の現場で貴重な昆虫類が見つかることがある。チョウやトンボのように大型で目立つ人気のある昆虫はだいたい国内での分布状況がわかっていて,生態も比較的よく調べられている。このため保全策が立てやすく,近年では事業者も保全措置と事後モニタリングをしっかりと実施してくれることが増えてきた。一方で私の好きなカメムシなど,愛好家などから人気がなく生活史や分布状況が十分に調べられていないものの場合は,たとえそれがいくら貴重な種であったとしても,分布記録がない,または不十分でレッドリスト(環境省や各都道府県が選定した絶滅危惧種およびそれに準じる種の一覧)に載っていなかったり,そもそも同定(種の特定)ができなかったりして,保全にたどり着かないことがほとんどである。私はそういった現状に日々疑問を感じながら仕事をしており,知見が少ない種を平等に保全していくために少しでもできることはないか,と考えていた。
 そこでたどり着いたのが分類学である。分類学は最低限,実体顕微鏡(性能がよい)と標本,文献(国内外問わず)さえあれば取り組むことができる。そして分類学は,私が社会生活の中で抱いた問題を解決することに貢献するのではないかと思った。国内のどこにどれくらいの種類のカメムシが生息しており,どのような分布をしているのか,その情報を誰もが野外で取得・利用できる状態で整理していくこと,それは一見遠回りのようで,最も生物多様性の保全に貢献する仕事の一つなのではないかと感じるようになっていった。
 私が今回筆を取ったのは,学生時代に熱心に研究をしていた方が,就職した途端に研究を続けられなくなってしまったという話を頻繁に耳にするからだ。本稿では,そんなきっかけで研究を始めた筆者がどのように研究を行っているのか知っていただき,読者の皆様に「これならば自分にもできる」と感じていただけたら大変嬉しく思う。


▼資料を揃える

 もともと私は昆虫の名前が多少人よりわかる程度であって,分類学については全くの素人であった。冒頭で分類学について「新種を記載する」ことを一例として示したが,個人の感覚で「新種だと思う」などと称してはいけない。学術研究として証左に基づき説得力をもって示す必要があり,そのルールも国際的に決まりがある。分類を学問として学術的に行っていくためには,まず国際動物命名規約(いわゆる命名に関するルールブック)を理解しなければならない。この規約は日本語版も発行されており,読むこと自体はたやすいが,法律のように難解な文章であるため,書いてあることの意味が初見時の私にはよくわからなかった。このため,同時に分類学の基礎を学ぶことができる数冊の書籍を購入した。特に,極めて良いタイミングで復刊した「種を記載する 生物学者のための実際的な分類手順(ジュディス・E・ ウィンストン(著),馬渡峻輔・柁原宏(翻訳)2008)」(2020年に復刊)は,筆者のような初学者には極めてありがたい手引書であった。このほか,教科書的な書籍,フィールドの生物学シリーズで分類学者の方の自伝が数冊あり,これを何度も読み返した。分類学の魅力に取り憑かれた方々の半生を追体験することによって,実際に自分も分類学に取り組んでみたいと強く思うばかりか,学問における哲学や心得などを学ぶことができたと思う。このほか,「趣味からはじめる昆虫学(熊澤辰徳編 2016)」は,在野研究者でもある編者が在野研究者として研究を行ってきた実体験をもとに書かれたバイブルである。本作は単純に参考になる記述が多く,私の研究活動の血肉になっているだけではなく,私に「在野でも研究をしても良いのだ」という勇気をくれた一冊でもある。


▼標本を集める:博物館資料の活用

図1 トビイロサシガメ 
Oncocephalus assimilis Reuter,1882

 研究対象については,私が学生時代からこよなく愛しており,同時に分類学的な課題をある程度把握していたトビイロサシガメ亜科を選ぶことにした(図1)。

 トビイロサシガメ亜科はサシガメ科の中でも比較的規模の大きな群で,茶褐色の体と翅にある六角形の窓(翅室)などが特徴である。一般的にアメンボを太くしたような姿のものが多く,動きは緩慢で,日中は石や倒木の下,植物の根際などに潜んでいる。なお,サシガメの仲間は一部の吸血性の種を除くと,原則すべての種が肉食である。トビイロサシガメの仲間は当時日本から8属16種が知られていたが,このほか文献などで複数の不明種が紹介されていた。日本のサシガメ科が90年代後半から続々と整理されていった中で,本亜科の分類学的研究は停滞しており,日本産サシガメ科の多様性解明の最後の難関の一つとなっていた。国内における本亜科の分類を整理することは,日本のサシガメ科の種多様性の全容解明に大きく貢献すると考えられ,研究として大きな意義があると感じた。
 早速研究に着手した私は,2019年4月に石垣島,10月に奄美大島に調査に出かけ,トビイロサシガメ亜科の採集を行った。標本はそれなりに集まったが,研究を進めるにはもう少し数が必要であった。しかし,運の悪いことに翌年コロナ禍で島嶼部への渡航が憚られるようになってしまった。事態が収束するまで待っていては,その間にやる気を無くしそうな気がした。そこで,私は博物館資料の利用に軸足を置くこととした。トビイロサシガメ亜科はライトトラップ(昆虫が灯りに誘引される性質を利用したトラップ)で採集されることが多く,かつ比較的大型で普段あまり見かけない虫であるため,多くの人が目についたものを副産物として採集しているのではないかと想像したのだ。実際に幾つかの研究施設で調査を行うと,それなりの数が集まり,国内未記録の正体不明種もいくつか見つかった。同時に研究機関の標本を活用することで,機関側にとっても収蔵されている標本が整理されていくというメリットもあった。ちなみに自然史系の博物館や大学においては,こうした標本の調査を受け入れることは一般的であり,目的と必要性が明確で,標本の取り扱いに問題がなければ,会社員だからという理由のみで受け入れを拒まれることはない。
 私は埼玉県内のカメムシ亜目のファウナ(動物相)研究の第一人者である野澤雅美さん(埼玉県立自然の博物館 外部研究者)に分類学を進めていく上で気になっていることを相談したところ,氏が過去に集めた国内外のサシガメ科に関する文献を一式譲ってくださった。それを元手に研究を開始し,足りない文献は国立科学博物館の図書室に文献複写を依頼したり,海外の書籍通販サイトAbebooksなどで買い足したりしながら徐々に自らの書庫を充実させていった。それに伴い,トビイロサシガメ亜科に関する理解が深まっていった。
 その結果,いくつかの新知見が明らかになったため,私は早速その成果を地域の学会で発表した。これは職場に昆虫分類学で学位を取得した方がおり,その方から「まずは学会発表で自分のやっている分類群について話すこと。自分はこの分類群を研究しています,と公にアピールするのが重要だ。するとみんなから情報が集まってくるようになるから。」というアドバイスをいただいたためである。作戦は大成功で,ぎこちない発表ながら研究に関する様々な情報をいただけたほか,多くのカメムシ研究者の方々との関係を築くことができた。


▼情報の入手:SNSの活用

 在野研究者が直面する困難の一つに,「論文の入手」がある。研究開始当初,必要な論文の著者に手当たり次第にメールしたが,業績もなく得体の知れない東洋人に返信をくれる研究者などほとんどいなかった。そこで,私はResearchGate(規定に沿えば,誰でも登録可能。ただし,やり取りは原則「英語」)という研究者同士でやりとりのできるSNSを利用して,著者に直接コンタクトを取って論文を集めた。同時に和文の著作を海外に向けて発信した。翻訳サイトが発達している現在では,海外の研究者も日本語論文を読むことができるようで,意外と論文が欲しいとの要望があった。
 特に, Zhuo Chen博士 (中国農業大学) と交流できたことは大きかった。Chen博士はResearchGate上で私の書いた日本語の短報を見つけて連絡をくれた。中国と日本は共通の種が多く,不明種を新種かどうか判断するにあたって中国の研究者の意見は非常に参考になった。Chen博士とはその後現在に至るまで交流を続けており,意見交換,文献や標本写真の交換,共同研究などで盛んに交流している。
 このほかX(旧Twitter)やFacebookでも多くの情報をいただくことができ,標本を譲ってくださる方もおられた。たとえばXで知り合った奄美大島の在野の方に実際に現地を案内していただき,得られた標本や現地のデータをもとに共著で新種のサシガメであるPygolampis amamiko Okuda, Yoshikawa & Ishikawa, 2024を記載することもできた。また,ありがたいことに現在も多くの方からSNSを通じて協力していただいており,研究する材料がどんどん集まってきている。
 また,そういった国内の方向けにResearchmap(条件を満たすと個人でもページを開設できる)と個人ホームページ(Laboratory of AsianReduviidae: https://sites.google.com/view/taxonomicstudyofreduviidae/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0)を整備し,自分が何をしている研究者なのかが一目でわかるようにした。これによって,実際に「この人に標本を渡したら役立ててくれるだろう」ということで標本を送ってくださる方もいた。
 さらに,研究にあたって海外の博物館にタイプ標本(種の記載の際にその種を示す標本)の写真を請求する機会も発生したが, これについてはGmailで特に問題なくやりとりができた。ちなみに私自身英語は大の苦手で,いまだに苦手意識は全く抜けないが,文法チェックツールを使ったり翻訳アプリで確認したりすることによってなんとかなっている(そして海外の方は,多くの日本人が英語を苦手としていることをすでに知っているようで,その前提でやりとりをしてくれているように感じる)。


▼空き時間を作る:ツールの活用

 多くの方と話をすると,必ず出てくるのが「でも時間がなあ…」という言葉である。確かに,日中は仕事をし,帰って家事や育児をするとなると,ゆっくり机に向かっている時間はない。私もそんな状況に随分頭を悩まされたものだが,電車通勤をしている私は通勤時間や昼休み,時々できる待ち時間など,こういった時間を活用する方法を検討した。そこで導入したのがiPad Airである。これにノートアプリをインストールし,全ての論文を入れたクラウドと接続しておくことでいつでも論文を読める状態を作った。また,私の場合は出張が多く,特に連泊が続く日はなかなか腰を据えて解剖やスケッチなどができない。このため,出張の日は論文の熟読や原稿の執筆にあて,帰宅できる日に一気に解剖や作図をすすめる,といったスケジューリングを行なっている。こうすることで,今日は何をしようか,と迷うことがなくなり,効率的に作業を進めることができている。


▼モチベーションの維持:同好会と論文出版

 私はずっと高いモチベーションで研究ができているわけではない。仕事が忙しく考えることが多いときなどは,せっかくの休日も仕事以外のことに集中できず,研究どころではなくなってしまう時期もある。そんな時に,自身が所属している埼玉昆虫談話会(各県には同好の士で結成された同好会があり,地域在住の昆虫の専門家も在籍している。原則,昆虫に興味があり,会費を払えば誰でも入会できるところが多い。)の会合に参加することで,気持ちが切り替わることが多かった。同好会は気持ちの切り替えだけではなく,研究のアイディアや新しい情報を得る上でも非常に有意義な場であった。
 また,研究をする上で最も嬉しいイベントは間違いなく論文出版である。論文というものは,書けば掲載されるということは原則なく,審査のある雑誌に投稿し,その結果で掲載の可否が決まるものである。投稿から出版までの道程は長いが,出版されたものは学問を形成する一葉として半永久的に残されていくため,社会的な意義も大きい。この論文出版というイベントこそ,モチベーションの維持に欠かすことができない。そういった意味で,成果を出すことは何より自分自身のためでもある。このため,重要なのはある程度のところで区切って成果を公表することであると私は考える。大作を目指すあまり,いつまでも成果が出ないのでは本末転倒であるため,私はとにかくこまめな論文出版を心がけている。
 これによって,やはりプロの研究者のようなペースで論文を出すことは難しいものの,年に一本は国際誌に論文を投稿できるように努めている。


▼さいごに:働きながら研究をする

 私がこれまでに挙げた働きながら研究するポイントは以下のとおりである。
 1)博物館資料を研究に積極的に活用する。
 2) SNS やインターネットを使って情報交換,自分の研究の普及をはかる。
 3) iPad を使って常に論文を手元に置く。
 4) 研究のスケジュールを細かくスケジューリングし, 何もしない時間を減らす。
 5) 同好会への参加と定期的な論文出版によってモチベーションを維持する。
 このほか課題として標本の置き場など問題がないわけではないが,工夫次第で何とでもなることだと考えている。知人のとある方はすでに最寄りの信頼できる研究機関に自分の標本を全て寄贈してしまい,必要に応じてそれを使う,といった方法をとっているそうである。
 また,特定の種のエサ情報や発生消長のような生態情報の収集,地域ファウナの研究など,分類学以外にも働きながら行える研究はたくさんある。
 実際のところ,現在でも研究職や専門職は狭き門である。当然研究者になれなかった人,なったとしても雑務に追われて業務時間内に研究ができない人もいるだろうし,今後もでてくるだろう。だからといって,学生時代に学んだことは無駄にはならないし,やりたい研究を諦める必要も一切ない。「働きながら研究をする」というライフスタイルを選択肢の一つに持っておくことは決して後ろ向きの考え方ではない。それどころか,研究を軸に「両立できそうな仕事」を選ぶことだって選択肢としてあっても良いはずだ。
 実際に私の場合,研究を進めることで本職の仕事をスムーズに進められることも増えてきた。たとえば,仕事の発注者の方,協力会社の方が,事前に私の名前を検索していることがある。このときに研究成果がヒットすることで,信頼して仕事を任せてもらえることが増えてきた。
 もし本稿を参考にして,日常業務の傍で研究に取り組んでいただける方が1人でもおられたなら,私にとってこれ以上の喜びはない。
 また,これまで「研究」というものの中身がよくわからないばかりに距離をとっておられた方をこちら側へ引き込むことができたら,それもまた大変うれしい。
 最後に,本稿の執筆を薦めてくださった公益財団法人文化財虫菌害研究所の岩田泰幸氏,日頃よりご指導ご鞭撻を賜っている東京農業大学の石川 忠教授,私自身の研究活動に常に理解を示してくれる家族,株式会社CTIリードの皆様,その他日頃より私の研究活動に温かい眼差しを向けてくださっている全ての皆様にそれぞれ心より御礼申し上げる。


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