息抜きこらむ

写真だけで虫の種類がわかるか?

岩田 泰幸
公益財団法人 文化財虫菌害研究所


 講習会や電話相談などで表題のような質問を受けることがよくあります。虫の専門家であれば,どんな虫であっても,写真を見ただけでたちどころに種類がわかるに違いないと思われているのかもしれません。しかし,残念ながら,写真だけで(正確に)虫の種類を調べることは不可能です。それは,なぜなのか? 今回はその理由について書いてみたいと思います。
 「写真だけでは(正確な)虫の種類はわからない。」という回答には反論があるかもしれません。例えば,あるウェブサイトやSNSなどでは,虫の写真を添えてその名前を尋ねると,匿名の親切な人がすぐに種類を教えてくれることがあります。しかし,ここで問題となるのは,こうして入手した情報の「精度」は,如何ほどのものか?という点です。多くの場合,虫の種類を確定した「根拠」が不明瞭です。もしかしたら,虫に詳しくない人がなんとなく似ていると思った虫の名前を示しただけかもしれません。正確性は欠くけれど,とりあえず早急に情報がほしい(虫の名前を調べたい。)ということならよい方法かもしれませんが,入手した情報の精度を高めるには,自分でも再検証する必要があるでしょう。
 当研究所のような機関に対して「虫を見てほしい。種類を調べてほしい。」と相談される方の多くは,根拠に基づいて確定された虫の正確な種名を教えてほしいと考えておられることと思います。「文虫研に聞いてみたところ,○○という種類の虫だそうだ。」という形で,関わった機関の名前を出すこともあるかもしれません。正確性の高い情報を示す必要がある場面においては,写真という二次資料を情報源として結果を示すことは不適切と考えられます。あくまでも,実物(検体)を見て得られた一次情報に基づいて種類を確定しなければなりません。また,虫の分類や形態に関する知識をもつ人物であれば,実物を見ることによって,写真の何倍,何十倍もの情報を得ることが可能となります。
 一方,写真では種の特徴が現れる部分にピントがあっていないことや,そもそも写っていないことも少なくありません。虫の種類を調べる際に「使える」写真というものはありますが,基本的に,それらは虫に詳しい専門家が形態形質をよく理解した上で撮影したものです。

 では,実際に虫の種類を調べる作業,同定(どうてい)を実施する際にはどういった手順を踏むのでしょうか? 普段はみなさんの目に触れることがない苦闘の現場をご紹介いたします。
 手元に虫(検体)が届いたら,まずは,その虫がどういったグループに属するものか,ある程度の「当たり」を付けます。例えば,これはコガネムシの仲間だ,とか,アリの仲間だ,といった具合です。当たりを付けるには,虫に対する広範な知識が必要ですし,形態的特徴から検体が属するグループをある程度推定する力もなくてはなりません。昆虫は日本国内だけでも約3万数千種が知られており,毎年,沢山の新種が発表されています。当たりを付けるだけでも,結構骨が折れる作業なのです。
 次の段階として,虫の体を細かく観察することにより,根拠に基づいて種類を確定していきます。こうした観察は顕微鏡を駆使して行うことが多く,時には解剖しないと種類が確定できないこともあります。また,観察する必要がある細かい特徴は,基本的には,一般向けの学習図鑑などに掲載されていません。当たりを付けた虫のグループの種類が沢山載っている専門の図鑑を調べたり,図よりも説明文が多いような専門書を読んだり,それでも分からない場合は外国語で書かれた海外の論文を取り寄せ,翻訳して調べることもあります。こうした観察を重ねることにより,ようやく根拠に基づいて虫の種類を確定することができます。種類を調べた結果として依頼者の目が向くのは虫の名前だけかもしれませんが,その裏側には膨大な作業の積み上げがあります。同定結果を示す際には,種名の他に,形態観察の結果(例えば,触角が何節だとか,翅の表面に毛が生えているとか)も示されているので,併せて読むことで虫に対する理解が深まると思います。

 なお,今回のコラムでは種類を調べることにクローズアップしましたが,例えば,害虫の疑いがある検体については,種類が判明することよりも,その後に実施する「対策」に重きが置かれると思います。種類がわかることで判明するのは,対象の虫の生態です。何を食べるのか,どういった環境に生息しているのか,何年生きるのかなどがわかる場合もあります。また,検体が文化財害虫なのかどうかも明らかとなります。害虫に対する効果的な対策は,種類によって手法や有効な薬剤などが異なるので,同定で種類を確定することは,その後に講じる対策を考える上で根幹をなす作業といえます。同定を誤ると,その後の対策の手法や効果にも大きな影響が生じてしまいます。このように慎重な判断をしなければならない場面では,写真だけによる不確実な同定を実施することはできません。ご相談の折には,そういったバックグラウンドにもご理解いただいた上で,検体(虫)を捕獲の上,連絡してもらえればと思います。