息抜きこらむ

その施工、本当に燻蒸ですか?

岩田泰幸
公益財団法人 文化財虫菌害研究所


 文化財に害虫やカビの発生を確認した際,強力な効果をもたらすのが殺虫殺菌処理である。特に薬剤を用いた燻蒸処理は効果が高く,いざという時に頼りになる最後の砦ともいえる。
 しかし,薬剤を用いた処理には様々なものがあり「薬剤処理 = 燻蒸」という単純な構図ではないということに注意しなければならない。では文化財分野における燻蒸処理とはどういったものを指すのか。今回は薬剤の性質や効果の特性について少し掘り下げてみたいと思う。

 燻蒸処理とは燻蒸剤を使った処理方法である。では,燻蒸剤とその他殺虫殺菌処理に使われる薬剤の形態や特性にはどういった差異があるのか。以下に燻蒸剤と誤認されやすい薬剤の特徴をそれぞれ整理した。


(1)燻蒸剤
 形 態: ガス状物質(気体)
 性 質: 薬剤は木材等の内部まで浸透する。
 効 果: 文化財内部に生息する害虫等の殺滅に効果が高い。
 予 防: 防虫・防菌効果はない。
 注意点: 毒性が強く,取扱いは専門の企業が行う。
 その他:( 公財)文化財虫菌害研究所の認定薬剤がある。文化財に対する影響が少ないものが処理に用いられている。


(2)ミスト剤(本剤を用いる施工は燻蒸ではない。)
 形 態: エアロゾル(微小な液体または固体)「ミスト」は霧状物質であり「気体」ではない。
 性 質: 薬剤成分は物の表面に付着し,内部まで浸透しない。
 効 果: ものの表面を徘徊する害虫等を殺虫する。
 予 防: 薬剤成分が表面に残留し,予防効果がある。
 注意点: 薬剤成分が付着するため,文化財への直接噴霧には基本的に用いない。
 その他:( 公財)文化財虫菌害研究所の認定薬剤はない。文化財の材質への影響については情報が不充分である。


(3)燻煙剤(本剤を用いる施工は燻蒸ではない。)
 形 態: エアロゾル(微小な液体または固体)燃焼で発生する「煙」は「気体」ではないことに注意すること。
 性 質: 薬剤成分は物の表面に付着し,内部まで浸透しない。
 効 果: ものの表面を徘徊する害虫等を殺虫する。
 予 防: 薬剤成分が表面に残留し,予防効果がある。
 注意点: 薬剤成分が付着するため,文化財への施工には基本的に用いない。使用に際して,水を用いたり,発熱したりするものがある。
 その他:( 公財)文化財虫菌害研究所の認定薬剤はない。文化財の材質への影響については情報が不充分である。


 上記のように,薬剤の剤形により性質や効果が大きく異なる。例えば,当研究所へお寄せいただいたご相談の中には,燻蒸に関する相談といいながら,実際に話を聞いてみると異なる性状・効果の薬剤を用いたものについてのご相談だったということも少なくない。これは依頼者側が燻蒸と他の施工との区別がついていないことを示している一例といえる。また,文化財分野以外で用いられる燻蒸剤について質問があり,その危険性を説明する場合もある。化学的あるいは物理的な情報は小難しいという印象があるせいかどうも敬遠されがちだが,それらを理解しておくことは不幸な事故を起こさないためにも大切なことである。更に,期待する効果をあげるためには,施工業者に任せきりにするのではなく,依頼者側も燻蒸を含む施工にどういったものがあり,どこが違うのか,積極的に知識を得ていく必要がある。
 昨今,殺虫殺菌剤や防虫防菌剤については,高い殺虫殺菌効果や効果の持続性,予防,人体に対して安全などという文言がコマーシャルで多く見られるが,文化財の収蔵環境は一般家庭のそれとは大きく異なる「特殊環境」であることを今一度思い出していただきたい。文化財分野で使用する薬剤を選択する際には,特に性質や影響に対して厳しい目を持ち,薬剤の特性を充分に理解することが求められる。

 

(いわた・やすゆき 公益財団法人文化財虫菌害研究所)


【参考文献】

 公益財団法人文化財虫菌害研究所,2015.文化財の虫菌害防除と安全の知識 2016年.
 呂 俊民,2017.燻蒸・殺虫に用いる化学物質のガス濃度測定について.文化財の虫菌害,(73):7 – 13 .